大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 昭和54年(ネ)736号 判決 1982年10月29日

(一審原告)

井上雅代

右法定代理人親権者父

井上正義

同母

井上峰子

(一審原告)

井上正義

(一審原告)

井上峰子

右訴訟代理人

西村忠行

小沢秀造

藤本哲也

伊東香保

丹治初彦

辻晶子

本田卓禾

宮後恵喜

山崎満幾美

小林広美

(一審被告)

明石市

右代表者市長

衣笠哲

右訴訟代理人

林藤之輔

中山晴久

石井通洋

高坂敬三

夏住要一

間石成人

主文

一、一審原告らの控訴と一審被告の控訴をいずれも棄却する。

二、一審原告らの当審での請求の拡張及び減縮により原判決主文第一項を次のとおり変更する。

一審被告は、一審原告雅代に対し金一六五〇万円、同正義、同峰子に対し各金二二〇万円、及び同雅代に対する内金一五〇〇万円、同正義、同峰子に対する各内金二〇〇万円についてはいずれも昭和五〇年一月五日から、同雅代に対する内金一五〇万円、同正義、同峰子に対する各内金二〇万円についてはいずれも本判決確定の日から、それぞれ支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

三、一審原告らが当審で拡張したその余の請求を棄却する。

四、控訴費用は、一審原告らの控訴によつて生じた分は一審原告らの負担とし、一審被告の控訴によつて生じた分は一審被告の負担とする。

事実《省略》

理由

第一当裁判所も、一審被告は、診療契約上の債務不履行責任として、一審原告雅代について慰藉料金一五〇〇万円、弁護士費用金一五〇万円、同正義及び同峰子について慰藉料各金二〇〇万円、弁護士費用各金二〇万円の限度でその損害を賠償すべき義務があるものと判断するのであるが、その理由は、次のとおり訂正・附加するほか、原判決の理由第一ないし第六に説示するところと同一であるから、これを引用する。

一1 原判決五〇枚目表一行目の「証人」の前に「原審」を、同行目の「原告」の前に「原審及び当審における」を、それぞれ加える。

2 同五〇枚目裏一行目の「証人」の前に「前示」を加え、同五五枚目表六行目の「翌」を「同月」と、同六二枚目表二行目の「前記」を「前期」とそれぞれ改める。

3 同六六枚目表一行目、二行目、三行目、五行目、九行目、及び別表7中の各「PO2」いずれも「PaO2」と改める。

4 同六七枚目裏一〇行目、同一〇五枚目表一一行目の各「学界」を「学会」と、同六八枚目裏一二行目の「医学」を「医療」と、同七八枚目表一二行目、同九〇枚目表四行目、六行目、同一〇一枚目表五行目の各「PO2」をいずれも「PaO2」と、同一〇三枚目表一〇行目の冒頭から同行目末尾までを「以上のほか、後記二、ⅠないしⅣで説示するところより判断される原告雅代が出生した当時の医療水準等に基づいて」と、同枚目裏一一行目の「定期的」を「一定の時期に」と、同枚目裏一二行目の「定期的」を「一定の時期の」と、それぞれ改め、同一〇四枚目裏七行目、一三行目の各「証人」の前にいずれも「前示」を加え、同一〇五枚目表五行目の「定期的」を「一定の時期に行うべき」と改め、同行目の「認められ」の次に「(右眼底検査を一度も実施しなかつたことは当事者間に争いがない。)」を加え、同一〇六枚目表三行目、六行目の各「定期的」をいずれも「一定の時期に行うべき」と、同枚目裏六行目の「定期的」から同枚目裏一三行目の「あるから、」までを「原告雅代の担当医師が酸素療法に伴つて一定の時期に眼底検査を眼科医に依頼し、本症を早期に発見して適期に光凝固術を受けさせる措置をとつていたならば、本症を治癒させて少くとも失明を防止しえた蓋然性が高かつたものというべきであるから、」と、それぞれ改める。

二Ⅰ 光凝固法の有効性について

一審被告は、本件当時、本症に対する治療法としての光凝固は未だ追試の段階でその有効性は医学的に証明されていなかつた旨主張するので、以下にこの点につき検討する。

(一)  1 天理よろず相談所病院の永田誠医師らは、昭和四二年三月と五月(同四三年四月報告)オーエンス分類の活動期第二期から第三期に移行した時期の本症の二症例に、昭和四五年五月の報告では同分類の第三期の本症の四症例に、いずれも光凝固法を施行してこれを治癒させ、昭和四一年八月から同四五年六月(同四五年一一月報告)までの収容児のうち、前記各症例を含む本症の一二症例に光凝固法を施行して、うち同分類第三期の一〇症例を治癒させ、昭和四一年八月から同四六年七月(同四七年三月報告)までの収容児のうち前記各症例を含む本症の二五症例に光凝固法を施行して同分類第二期から第三期の二三症例を治癒させたこと、名鉄病院の田辺吉彦医師らは、昭和四四年三月から同年一一月(同四四年報告)までに本症例の四症例に光凝固法を行つて同分類第三期までの二症例を治癒させ、昭和四六年一一月の報告ではそれまでに前記症例を含む本症の二五症例に光凝固法を施行して同分類第三期以下の二一症例に著効を奏したこと、関西医科大学の塚原勇医師らは昭和四四年一一月から同四五年九月(同四六年四月報告)にかけて本症の五症例に光凝固法を行つて同分類第三期までの三症例を治癒させたこと、九州大学の大島健司医師らは昭和五四年一月から同四六年一二月(同四六年九月報告)までの収容児のうち本症の二三症例に光凝固法を行つて同分類第二期の終りから第三期の初期にかけての二一症例と片眼一例に顕著な効果があつたこと、東北大学の山下由起子医師は昭和四五年一月以降(同四七年三月報告)本症の八症例に光凝固法と類似した冷凍凝固法を施術して同分類第三期の六症例を治癒させたこと、国立大村病院の本多繁昭医師は昭和四五年七月から同四六年六月(同四七年三月報告)にかけて入院した本症の一〇症例に光凝固法もしくは冷凍凝固法を施行して同分類第二期から第三期にかけての右一〇症例を治癒させたこと、以上の各症例につき、本症に対する光凝固法の適応、その治癒の時期、方法、問題点等の報告がなされたことは前示引用の原判決説示(原判決理由第五、二、2)のとおりである。

2 そして、<証拠>によれば、関西医科大学の塚原勇医師は昭和四四年一一月から同四八年三月までの間に前記五症例を含む約四五症例に光凝固法を行つたこと、大阪市立小児保健センターでは昭和四四、五年頃から同五三年までに私立の北野病院、松下電器健康保険組合病院に約四〇ないし五〇例を光凝固法施術のため転医させたこと、兵庫県立こども病院の田淵昭雄医師らは昭和四五年五月から同四六年八月までに未熟児一〇八名のうち本症一〇症例に光凝固法を施してうち八症例につきその症状の進行を阻止して満足すべき結果をえたこと、県立広島病院の野間昌博医師らは昭和四五年一月から同四六年八月までに収容した本症の一二症例に光凝固法を加えてこれを治癒させたこと、愛媛県立中央病院の宮本博亘医師らは昭和四五年五月から同年九月までに収容した本症の二症例につき徳島大学に紹介して光凝固法の施術を受けさせ治癒したこと、鳥取大学の瀬戸川朝一医師らは昭和四六年九月から同四九年二月までに本症の五症例に光凝固法を加えてうち三症例に著効をえたこと、植村恭夫医師は東京国立小児病院に勤務当時の昭和四三年、同四四年に東京厚生年金病院及び東芝中央病院に計四名の本症患者を転送して光凝固法の施術を受けさせてうち二名が治癒したこと、名古屋市立大学の馬嶋昭生医師らは、昭和四六年の前半は名鉄病院に依頼して本症の三、四症例に光凝固法を施術させたが、同年後半から昭和四九年までの間に名古屋市立大学で本症患者に対し入院例で約三六眼、外来で約七八眼に光凝固法を施行したこと、以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

3 <証拠>を総合すると、本件当時以後においても、光凝固法は本症に対する唯一の治療法として前記各病院のほか全国各地の著名病院に普及して引き続き実施されるにいたつていること、特に前記大島健司医師らは本症に対して光凝固法を施行して成功した症例が一〇〇例以上にもなり、現在も光凝固法による治療を継続していること、大阪市の愛染橋病院においては、昭和四七年から同五一年までの間に本症の患者二名につき大阪府立病院に依頼して光凝固法を実施してもらつた結果これに成功し、その後現在まで毎年二例位を開西医科大学に依頼して光凝固法を施術させ成功していること、本症の主だつた前記各眼科研究者らは、本症にはACTH、副腎皮質ホルモン、ビタミンE等の各薬剤投与はいずれもその効果に疑があるとし、光凝固法の奏効機序については必ずしも見解が一致しなかつたものの、光凝固法の実施時期、凝固部位やその程度については各人がそれぞれ独自の方式で実施し、本症に対しては、他に有効な治療法がなく光凝固法が有効であることについては右各研究者の意見が一致していたこと、そして、本症が社会的にも問題となり、昭和四九年の岐阜地方裁判所の本症に関する判決が関係方面に衝撃与えるにいたり、また、本症の診断・治療面につき各医師間においてその各基準に統一を欠く点があつたところから、共同研究の要を生じ、慶応大学の植村恭夫教授を主任研究者として、本症の主だつた眼科研究者、卓越した小児科、産科の研究者の協力を求めて昭和四九年厚生省研究班が組織され、昭和五〇年八月その研究報告が発表されるにいたつたこと、その研究報告の内容は、本症を臨床的に大別してⅠ型とⅡ型とⅠⅡ型の混合型に分類したうえ、本症の治療基準として、本症の治療には未解決の問題点が多く残されており、現段階で決定的な治療基準を示すことはきわめて困難であるとしつつも、進行性の本症活動期病変が適切な時期に行われた光凝固或いは冷凍凝固によつて治療しうることは多くの研究者の経験から認められているとし、Ⅰ型については自然治癒傾向を示さない少数の重症例のみに治療を施行すべきであるが、Ⅱ型においては、極小低出生体重児という全身条件に加えて本症が異常な速度で進行するために、治療の適期判定や治療の施行そのものに困難を伴うことが多いので、失明を防ぐために治療時期を失わぬよう適切迅速な対策が望まれるとし、混合型については治療の適応、時期、方法をⅡ型に準じて行うことが多いとしていること、右厚生省研究班報告後は、本症の各研究者・臨床医は従来のオーエンスの分類に代えて右研究班報告の示すⅠ型、Ⅱ型、混合型の分類及び治療基準に依拠する例が多くなつたこと、以上の事実が認められ、右認定を動かすに足りる証拠はない。

(二) 以上の1ないし3の各事実のほか前示引用の原判決理由第五、二、2説示の事実を合わせ考えると、医学上の文献に発表された本症及びこれに対する光凝固法の適応、治療の時期、方法、問題点の各研究のほか、前記のとおり、光凝固法は、本件当時までに、少数の研究者の実験的追試例の研究報告の域にとどまらず、広く本症の治療法として実際にも臨床上普及し(右1、2に説示した状況からすれば、光凝固法は他にもかなりの数の病院で実施例があるものと推認することができる。)、数多くの病院で施行され、その治癒例は多数にのぼっていたことが知れるのであるから、これらに本件当時以後の光凝固法の普及経過を合わせ参酌すると、光凝固法については、追試例・治療例を重ねるうちに、遅くとも本件当時頃までには、本症に対する治療法としての有効性はほぼ確立していたものと認めるのが相当である。<反証排斥略>

(三)  右に関し、一審被告は、光凝固法の本症に対する有効性の確定についてはコントロール・スタディ(対照研究)による検証が必要であるが、右コントロール・スタディは未だ十分になされておらず、その乏しい研究例の結果によつても、いわゆるⅠ型については光凝固の適応となる症例がきわめて少ないことが明らかにされたところ、本件当時までに光凝固法の有効例として発表された症例は殆どがⅠ型であつたとみられるから、光凝固法の有効性は実証されていない旨主張する。

なるほど、<書証>(馬嶋昭生外「未熟児網膜症に対する片眼凝固例の臨床経過について」、臨床眼科三〇巻一号、昭和五一年一月発行)によれば、馬嶋昭生医師らは、昭和四七年六月以後、症例を選んで二五例に片眼のみを凝固し、他の片眼の非凝固眼とともに詳細に経過を観察したところ、うち一二例のみが検眼鏡的に網膜症進行に左右差を認めないで凝固眼と非凝固眼の比較検討の対象となつたが、うち一〇例は凝固眼がすべて瘢痕期一度(PHC)、非凝固眼も同様一度で治癒し、差異は認められなかつたこと、うち二例については、他眼(非凝固眼)がなお症状進行の傾向を示し、結局、両眼とも凝固したため厳密な対照はできなかつたこと、右検討の結果として、少なくともⅠ型においては第二期での凝固には賛成できず、Ⅰ型で光凝固の必要な症例はきわめて少ないと考えてよいと報告していることが認められるが、同医師らの右報告が本症に対する光凝固の有効性を否定するものでないことは、同号証によれば、本症に対する光凝固法は、既に確立された治療法として広く行われているが、その実施時期、方法について研究者間で相違がみられるとして、その研究のために右のように比較検討した結果を報告したものであることが認められることからも明らかであり、<書証>(厚生省昭和四九年度研究班報告)によると、Ⅰ型の本症は、自然治癒的傾向が強く、第二期までの病気のものに治療を行う必要はなく、第三期においてさらに進行の徴候がみられるときに初めて治療が問題となるとしていることが認められることに徴すると、馬嶋医師らの前記研究結果は右厚生省研究班報告の線に沿つたものともいいうるのである。

そこで、本件付時までに本症に対する光凝固法の有効例として発表された症例はその殆どがⅠ型であつたかどうかを検討するに、本件当時までに右厚生省研究班報告がなされていなかつたことは前述のところから明らかであり、本件当時までに本症に対する光凝固の有効例として発表された症例がすべてオーエンス分類に準拠したもので、右症例に対する光凝固法の施術が主としてオーエンス分類の第二期ないし第三期に行われていたことは前記のとおりであり、<証拠>によると、前記厚生省研究班報告が発表されるまでは、本症の臨床的分類についてはオーエンス分類による例が多かつたが、右分類がなされた当時のアメリカとその後の日本とでは本症の状況が若干異なるうえに、眼底検査に用いた検眼鏡の精度の相違等から前記Ⅰ型(いわゆるinsidious type)とⅡ型(いわゆるrush type)との区別が十分でなく混在していたこと、また、診断基準、治療基準についても、永田誠医師や田淵昭雄医師のごとく独自のものを設定していた例もあつたが、本症に対応する医師間において統一を欠く面があつたことなどから厚生省研究班の前記分類が研究報告されたものであること、オーエンス分類の活動期第一期ないし第四期と厚生省研究班のⅠ型の第一期ないし第四期について、両分類の各病期を対照してみると、共通する病変を表現しているのもかなり存するが、両分類はそれぞれ独自の視点に立つ分類であつて必ずしも一致するものではないことが認められ、右認定を動かすに足りる証拠はない。

そうすると、前記のように、厚生省研究班の分類はⅡ型を明確にⅠ型から区別した点に特色が存するものであるが、そのことから、光凝固法の適応があるとされたオーエンス分類の第二期から第三期までの症例のすべてが直ちにⅠ型であるとは断定できないし、右各症例のうちにはⅠⅡ型の混合型、稀にはⅡ型もありうるものであり、ましてや、Ⅰ型に該るもののうちにも治療の必要が問題になる第三期に入つたものが存することも考えられるところであるから、前記認定のコントロール・スタディの結果を参照しても、光凝固法が有効とされた症例はすべて光凝固法を必要としないⅠ型であつたものと断定することはできないし、結局、光凝固法の有効性を否定するには十分でないものというべく一審被告の前記主張は採用することができない。

(四)  また、一審被告は、アメリカでは光凝固法はその有効性に問題があるとして本症の治療に積極的に用いられていない旨主張する。

<証拠>によれば、アメリカにおいては、光凝固法は成人の糖尿病性網膜症の治療法として早くから研究されて臨床に普及していたが、本症の治療法としてはその有効性に解決されない問題があるとして一般には使用されていないこと、本症は予防すべき疾患とされ、新生児集中治療室(NICU)の設置などその面で最大の努力が払われていることが認められるが、前記のように、光凝固法を本症に対して適用することは日本で開発された治療法であり、急速に研究が進展して臨床の実際に普及した治療法であるから、アメリカで眼科界の研究者が光凝固法を適用することに消極的な態度を示し、これが一般臨床に使用されないからといつて、他にアメリカの研究者が光凝固法の有効性を否定する実証的根拠を示したことについて格別の立証もない本件の場合、前記認定の事実からだけでは本症に対する光凝固法の有効性を否定するに足りないものというべきであり、前記主張は採用しがたいところである。

(五)  さらに、<証拠>によれば、光凝固法を実施したにもかかわらず、失明した症例の存することが認められるが、右各証拠のほか<証拠>によれば、光凝固法を実施して失明した症例は、来院の際既に治療の適期を過ぎていたもの、オーエンス分類第四期以上の病変を示していたものであつて、しかも、失明した症例は治癒した症例に比すればその割合はきわめて低いことが認められるから、右失明例の存することをもつて光凝固法の有効性を否定する根拠とすることはできない。

(六)  光凝固法の右有効性に関する一審被告のその余の主張も以上の各認定・判断の趣旨に徴すればこれを採用するによしないものである。

Ⅱ 光凝固法の副作用について

一審被告は、光凝固法の施行により副作用を生ずる可能性があり、その無害性は証明されていない旨主張し、<書証>(清水引一ら著「光凝固」、昭和五二年八月発行)によれば、右清水らは、光凝固は、発育途上の眼に加えられる結果、眼球そのものの発育が阻害される危惧のあることや強膜・脈絡膜・網膜・硝子体それぞれの微妙な発育のバランスが干渉され、遠い将来、予想もできない合併症が起るのではないかという可能性が問題である旨記述していることが認められるが、他面、同号証の記載によつても副作用の問題は、その事柄の性質上、遠い将来(一〇年ないし二〇年先)に対する可能性の有無を想定したものにすぎず、具体的にその副作用を特定してその発生の原因及び可能性をそれ相当に証明すべきものは見あたらないし、また、<書証>の記載も単に遠い将来における副作用の可能性は懸念ないしは憶測を述べるにすぎないものであつて、右各証拠によつては光凝固法の副作用の発生の可能性を予測するには十分でなく、他に右副作用の発生の可能性を認めるに足りる証拠はない。むしろ、<証拠>によれば、光凝固法の施術が有効であつた各症例につきこれまでに副作用の発生及びその可能性の報告はなかつたことが認められる。そうすると、本件当時において光凝固法の有効性が認められる以上、失明等最悪の結果を防止するためには、この方法を選択するのもやむをえないものといわざるをえないから、一審被告の右主張も採用することができない。

Ⅲ 医療水準について

(一) 医療は人の生命、身体の健康に関するものであるから、その業務を担保する医師には危険な結果を回避するため最善を尽くすなど比較的高度の注意義務が要請せられるものであるが、右注意義務の基準となる医療水準は医学の実践における医療水準と解すべきである。そして、右医療水準を決定するにあたつては、通常は、医学・研究面の水準のみではなく、技術・経験面の水準をも併せて検討しなければならないし、普及の程度の面からの考察も必要となるものというべきである。さりながら、医療水準は、医療の理論的・実践的側面と法的な前記注意義務の基準という側面との両側面が相関する以上、形式的・画一的に決せられるものではなく、疾病及びこれに対する治療法の種類・性質によつて一様でないものがあるというべく、特に、本症のように急速に症状が進展して失明という回復不能な結果を招来することもあつて、有効な治療法が存するときは時期的に緊急な処置を要し、その治療法としての光凝固法のように技術的・手技的にも困難性があつて、これを用いるために特別な装置・設備を必要とする場合においては、本症に対する光凝固法の施行には、恰も他の難病に対する有効な手術の場合と同じように、自ら人的・物的または時間的・場所的にも制約の存することは蓋し免れがたいところであり、また、光凝固法の施行を必要とする症例は比較的少数であることなどを考慮すると、光凝固法が国内各地方における専門的医療機関である国公立大学病院または同程度の代表的総合病院で実施されるような状況にいたれば、それはもはや医療水準に達したものと解するのが相当である。

本件の場合についてみるに、医学上の文献に発表された本件当時までの本症及びこれに対する光凝固法の追試例及び治療例につき、光凝固法の適応、その治療の時期、方法、問題点等に関する各研究が進展していたこと、及びこれに対する眼科界、小児科界の本症に対する一般的な認識が存したことはいずれも前示(原判決理由第五、二、2)のとおりであり、また、本件当時、本症の治療法としての光凝固法は、先駆的研究者の間で実験的追試として行われていた段階にとどまつたものではなく、その有効性はほぼ確立して、施行例及びその成功例ともに多数にのぼるうちに、まさに有効な治療法そのものとして国内各地の国公立大学病院、公立、私立の総合病院で施行され、実際上普及していたことも前記二、Ⅰ、(一)、(二)のとおりであるから、以上に後記(二)ないし(四)の各判断を総合すると、本症の治療法としての光凝固法は、本件当時、臨床医学の実践としての医療水準に達していたものというべきである。<反証排斥略>

(二)  一審被告は、新しい治療法が開発された場合、これが医療水準に達するまでには、(1)動物実験、(2)臨床実験、(3)追試、(4)教育・訓練、(5)一般的医療水準への到達という順次の段階的経過を必要とし、医学界全体の共有財産となつた医学知識を基準とすべきであるところ、かかる意味合において、光凝固法は本件当時には未だ医療水準に達していなかつた旨主張する。

しかしながら、医療水準の概念は、前述のように、本来医療をその内容、対象とするものではあるが、法的には医師の注意義務の基準となるものであつて、互に相関するものであり、したがつて、右の各観点から把握さるべきものというべく、必ずしもその主張のような順次の段階的経過の検討から固定的に決せられるべきものではないし、また、疾病の種類、新治療法の方法、態様、その開発の時期によつては、必要とすべき経過・段階にも異なるものがあつて一様ではないものというべきである。しかも、<証拠>によれば、光凝固法は、もともと昭和三四年頃成人の糖尿病性網膜症に対する治療法として開発して発表され、アメリカでは早くから普及したが、我国ではその光凝固装置が昭和三七年に初めて広島大学に導入され、次いで、昭和四〇年から同四二年にかけて各地の国公立病院に備えつけられ、各都道府県に少くとも右光凝固装置が一式は存するようになり、網膜剥離、網膜の血管病変の治療に用いられ、それと同時に右治療法に必要な眼底検査も行われてきたこと、永田誠医師は、右光凝固法を未熟児の網膜症に対しても応用しうべきことに着眼し、前記光凝固装置が成人のみならず未熟児にも使用できるところから、これを使用して必要な実験等の段階を経て、本症に対する治療法としての光凝固法を創めて開発するにいたつたものであり、前示のように昭和四二年に本症の二症例の追試をして同四三年の発表となつたものであること、そして、国内各地で既に網膜剥離等に光凝固法が用いられ、光凝固装置も存したところから、格別の装置、設備の導入をまつまでもなく、前示のように、各地で相次いで本症に対する光凝固法の適応について追試が行われ、その研究報告が行われるうち、光凝固法は、その有効性がほぼ確立して、本体当時臨床上広く普及して施行されるにいたつていたものであることが認められ、右認定を動かすに足りる証拠はない。以上によると、本症に対する治療法としての光凝固法は、本件当時、必要な追試例を経ているものというべきであり、また、臨床上の人的教育・物的設備の点においても、既に存した光凝固法の本症に対する応用であつた関係上、その基盤となる態勢は存しなかつたわけではなく、幾多の追試例の実施と併行して、比較的早急に最低限度の人的教育・物的設備は整つたとみなければならないから、光凝固法の手技的困難性・危険性の故に教育・訓練等をするためにさらに長期間の経過を要するとの見解には賛しがたい。右に関し、一審被告は、糖尿病性網膜症について、光凝固法の有効性は本件当時においても未だ完全に実証されていたわけではないし、仮にそうでないとしても、本症は糖尿病性網膜症とは発生の原因・機序を全く異にするものであるから、改めて新たな治療法の開発に際して必要とされる発展段階を経ることを要する旨主張し、<証拠>によれば、アメリカで成人の糖尿病性網膜症に対する光凝固法の実験が行われ、昭和五一年頃その有効性が判明した旨の記載のあることが認められるが、右記載によつてもそれ以前において糖尿病性網膜症に対する光凝固法の有効性を全く否定すべきものであつたかは明らかでないし、また、本症が糖尿病性網膜症とは発生の原因・機序を異にするからといつて、医療水準に関する前記の認定・判断に徴すれば、本件当時以後さらに発展段階を経なければ医療水準に達しないとは解しがたいところである。結局、被告の主張はいずれも採用するによしないことに帰する。

(三)  また、一審被告は、医療水準を定めるにあたつては何よりもまずその当時の医学の領域で発行されたいわゆる成書の記載内容によるべきところ、本件当時までの右成書の記載内容からすれば、本症の治療法としての光凝固法は医療水準とはなつていなかつた旨、また、右医療水準に達したのは右光凝固法がいわゆる成書に記載された昭和五二年ないし同五四年である旨主張する。

<証拠>によれば、本件当時の前後頃の眼科関係のいわゆる成書(眼科学、小児眼科学等)には本症に対する治療法として光凝固法の記載がないことが認められ、<証拠>によれば、昭和五二年、同五四年の各発行の眼科関係のいわゆる成書(前同)には本症に対する適応治療法として光凝固法の紹介の記載があることが認められるが、一般にいう成書とは、特別な著作は別として、一般的に認められるにいたつた医学的知識を体系的に記載したもので、医学の教育・指導に用いられ、一般の医師もこれに準拠するものを指称するものと解せられるところ、<証拠>によれば、いわゆる成書なるものに医学上の新知見・新治療法をとり入れることは四、五年遅れてなされるのが多いことが認められるし、また、このことはいわゆる成書の前記のような性質から考えて十分に首肯しうるところであるから、いわゆる成書の有無をもつて医療水準の成否を決することは相当でなく、被告の前記主張は採用することができない。

(四)  さらに、一審被告は、本症に対する治療法としての光凝固法が医療水準に達したのは厚生省研究班報告が発表された昭和五〇年八月以降である旨主張する。

前記二、Ⅰ、(一)ないし(三)の説示、特に、厚生省研究班は、本症が社会的に問題となり、昭和四九年の岐阜地方裁判所の前記判決が関係方面に衝撃を与えるにいたり、また、本症の診断基準・治療基準につき各医師間に統一を欠く点があつたところから、合同研究の要を生じ、本症の主だつた眼科研究者、卓越した小児科、産科の研究者らによつて組織されるにいたつたものであること、厚生省研究班報告においても、本症が光凝固法或いは冷凍凝固によつて治癒しうることは多くの研究者によつて認められるところとして、これを前提としてⅠ型、Ⅱ型、混合型に対する診断基準、治療基準を示していること等からすると、厚生省研究班は、前記設立の趣旨に基づき、本症及びこれに対する治療法として当時現存していた光凝固法について検討を加えて本症の再分類をするとともに、統一的な診断基準・治療基準を示し、爾後における本症の治療に資するのに併せてその治療義務の存否・程度への指針とすることを図つたものと解されるから、厚生省研究班の報告によつてはじめて本症の治療法としての光凝固法が臨床的に普及したものとみることは、昭和五〇年八月までに行われた光凝固法による前示のような各地での多数にのぼる治療例をすべて追試例とみることにもなつて相当でなく、医療水準に到達の時期は厚生省研究班報告の時期とは別個に考察すべきであり、前示のようにそれより以前の本件当時、本症の治療法としての光凝固法は既に医療水準に達していたものというべきである。したがつて、一審被告の前記主張は採用することができない。

Ⅳ 眼底検査について

(一) 一審被告は、本件当時、光凝固法は本症に対する有効・安全な治療法として確立していなかつたから、定期的眼底検査を実施すべき義務はなかつた旨主張するが、前記二、Ⅰ、Ⅱのとおり、本件当時、本症に対する光凝固法の有効性及び安全性はほぼ確立していたものと認められるから、右主張は採用するによしないものである。

(二)  次に、一審被告は、本件当時、定期的眼底検査は一般臨床上実施されていなくて、それが一般臨床上実施されるようになつたのは昭和四九年後半か同五〇年以降であるから、定期的眼底検査を実施すべき義務はなかつた旨主張する。

前記二、Ⅰ、(一)、1の本症の各症例に対する光凝固法の施術がそれぞれ眼底検査を実施した結果判明したオーエンス分類の各活動期の病変の所見によりなされたこと、右各施術の報告者らが本症に対する眼底検査ないしは定期的眼底検査の必要性を強調していることはいずれも前示(引用の原判決理由第五、二、2)のとおりであり、<証拠>によれば、前記二、Ⅰ、(一)、2の本症の各症例に対する光凝固法の施術もそれぞれ眼底検査を実施した結果に基づいてなされたものと認められ、右各認定に反する証拠はない。また、<証拠>によると、前記のように、成人の糖尿病性網膜症に対し光凝固法を施術するため、光凝固装置が昭和四〇年から同四二年にかけて各地の国公立大学病院に備えつけられたが、同じ頃から右治療のための眼底検査が行われていたこと、そして、未熟児の出生後一定の時期に行う眼底検査は、昭和四三、四年頃から天理よろず相談所病院、関西医科大学、京都府立医科大学、大阪北逓信病院、名古屋市立大学、東京国立第二病院、都立母子保健院、東京厚生年金病院、東芝中央病院等で実施されており、昭和四五、六年になると東北大学、九州大学、国立福岡中央病院、国立大村病院、兵庫県立こども病院、県立広島病院、鳥取大学、徳島大学等で実施されるようになり、昭和四六年頃からは国立福岡中央病院、九州大学、名古屋市立大学等で未熟児の出生後いわゆる定期的眼底検査を実施するようになつたことが認められ(以上の状況によると他にもかなりの数の病院で眼底検査を実施していたものと推認せられる。)<る。>

以上の各事実に前示(引用の原判決理由第五、二、2)の事実を合わせると、未熟児の出生後一定の時期に行う眼底検査は本件当時既に一般臨床上普及していたものと認めるのが相当であり、一審被告の前記主張は採用することができない。なお、一審被告は、前示のとおり定期的眼底検査が一般臨床上実施されるようになつたのは昭和四九年後半か同五〇年以降である旨の主張をするが、右にいう定期的眼底検査が体系的な一定の周期による眼底検査を意味するとするならば、本件においては、右にいわゆる定期的眼底検査そのものの義務違反に限つているものではなく、単に一定の時期における眼底検査の義務違反の有無が問題になつていることは一審原告の主張に徴して明らかであるから、いわゆる定期的眼底検査が臨床上普及した時期の如何は一審原告主張の眼底検査義務違反の成否を左右するものではないものというべきであり、右主張は排斥を免れないものである。

(三)  以上の認定・判断に反する一審被告の主張はすべて採用することができない。

そして、<証拠>によれば、一審被告病院からタクシーを利用すればほど遠くない距離にある兵庫県立こども病院においては、本件当時から二年近くも以前の昭和四五年五月頃から前記のとおり眼底検査を実施するとともに本症に対し光凝固法の施術をしていたことが認められる。

三そうすると、一審原告雅代の前示(引用の原判決理由第三)のような臨床経過に鑑みれば、同雅代に対しては少くとも生後一定の時期に眼底検査を実施する必要のあつたことは明らかであるにもかかわらず、前示のとおり、一審被告病院の米山医師が、一審原告雅代の出生時から退院時までに一審被告病院その他の眼科医の協力を求めて眼底検査を一回も行わなかつたこと、しかも、右退院までに眼底検査を実施している他の病院、例えば前記県立こども病院等に転医の手続もとらなかつたことは、既に医療水準にあつた光凝固法実施のために必要な眼底検査を受けさせる義務に違反するものといわなければならない。

四因果関係について

一審被告は、本件当時、光凝固法についての有効性は医学的に証明されていなかつたから、一審原告雅代に光凝固法を実施した場合でも、同雅代の失明を防止しえたことの立証はないから、本件医療行為と同雅代の失明との間には因果関係はない旨主張するが、本件当時、光凝固法の有効性がほぼ確立していたことは前述のとおりであり、また、同雅代に対し光凝固法を適期に実施してもその失明を防止しえないような特段の事情が存しない限り、前示(引用の原判決理由第五、一ないし三)の事実からすると、一審被告病院の担当医が適期に前記眼底検査義務を尽くし、光凝固法を実施する機会を与えていたならば、同雅代の失明を防止することができた高度の蓋然性があつたものと認めるのが相当であるというべきところ、本件においては右特段の事情の存在についてはこれを認めるに足りる証拠がないので、右因果関係の存在はこれを肯定するのが相当であり、一審被告の右主張は採用することができない。

第二次に、一審原告らは、本訴で請求する損害額は最低限度額であり、その全額を認容さるべきである旨主張する。

なるほど、本件において一審原告らに生じた精神的苦痛がいかに甚大であるかについては、前記に引用した原判決理由(原判決理由第六)説示のとおりであり、そして、さらに当審における一審原告峰子本人の尋問の結果をも合わせ考えると、一審原告らのこの精神的苦痛の重大さについては、まさに測り知れないものであることが推認されるけれども、他方、前示に認定した一審被告側の過失の内容及び程度を対比して考えると、一審被告に賠償義務を負担させるべき一審原告らの損害額は、やはり原判決認定の限度額をもつて相当であると認められるから、一審原告らの右主張は採用することができない。

第三その他当事者双方が当審で提出援用した全証拠によつても以上の認定判断を動かすことはできない。

第四以上説示したところによれば、一審原告ら主張の当審で補足したその余の注意義務違反の有無について判断するまでもなく、一審被告は、一審原告雅代に対し金一六五〇万円、同正義、同峰子に対し各二二〇万円、及び弁護士費用を除く同雅代に対する内金一五〇〇万円、同正義、同峰子に対する各内金二〇〇万円については、本件訴状送達の日の翌日であることが本件記録上明らかな昭和五〇年一月五日からそれぞれ支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金、弁護士費用である同雅代に対する内金一五〇万円、同正義、同峰子に対する各内金二〇万円については本判決確定の日からそれぞれ支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があるものというべきであるから、一審原告らの本訴各請求は右の限度で正当としてこれを認容し、その余(当審で拡張したその余の請求を含めて)はいずれも失当としてこれを棄却すべきものである。よつて、一審原告らの控訴及び一審被告の控訴はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、一審原告らの当審での請求の拡張及び減縮により原判決の主文第一項を前記のとおり変更することとし、控訴費用の負担につき民訴法九五条、第九三条、第九二条、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(唐松寛 奥輝雄 鳥越健治)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例